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The people of the park
 

現在残っている資料から、大安渓の上流流域における先史時代の文化は旧石器時代の後期に始まり、その後、人類が次々とこの地に住むようになったと考えられています。先史時代の人々の命を繋いだ家々は現在、地下深くに埋まっています。出土した遺物のわずかな手掛かりから、先人たちが過ごした歳月を繋ぎ合わせてみましょう!旧石器時代の人々が生きるための狩猟や採集で欠かせなかった尖頭器、刮削器、礫器などの石器は「打ち砕く」方法で作られています。新石器時代になると農耕が始まり、主に打製石器の石斧、石鋤、石刀など日常生活の農具や工具が使われ始めました。また、装飾が施された陶器も発見されています。これら生活道具となった壺や入れ物としては、初期の赤褐色の夾砂陶、後期の灰褐色の夾砂陶、少量の泥質の灰陶などがあります。

七家灣遺址
七家湾遺跡
出土的陶土
出土された陶土

タイヤル族とサイシャット族の集落は、雪霸国家公園の敷地内にはありませんでしたが、かつては敷地全域が彼らの生きる舞台であり、生活と偉大な大自然が一つになっていました。また、たくさんの歩道が形成されており、原住民の狩猟、婚姻の道を辿ることができます。高山、渓流、池、さらには山頂まで伸びる道には、山岳民族の足跡や知恵が残されています。広大な山岳地帯の各場所には元々の呼び名と伝説があります。聖稜線の「凱蘭崑特山」「穆特勒布山」、武陸四秀の「喀拉業山」など多くの山の名前はタイヤル語にちなんでいます。

タイヤル族とサイシャット族の起源

約7,000年前にオーストロネシア語族が海を越える大移動を開始したとき、台湾が最初の移動先になったと考えられています。5,000年~2,000年前の新石器時代になると、高山族がさまざまな年代に南太平洋を渡ってやってきました。中でも、台湾北部のタイヤル族とサイシャット族が最も早く台湾にやってきたと考えられています。学者の考証によると、タイヤル族は新竹県五峰郷と尖石郷、苗栗県泰安郷または台中市和平区、雪霸国家公園の敷地周辺に分布していましたが、雪山山脈の高山に定住したことはなく、標高2,000m以下の涼しく農耕や狩猟に適した山麓階や河岸段丘に散在し、その中で最も多かったのが標高1,000~1,500mでした。タイヤル族が分布する西麓の標高500~1,000mにはサイシャット族が暮らしていました。

新竹県五峰郷に住むタイヤル族とサイシャット族、尖石郷の一部のタイヤル族、苗栗県泰安郷のタイヤル族は、先祖が誕生した場所として大霸尖山を崇めていました。原住民たちは、「太古の時代、大霸尖山に苔で覆われた巨石があり、それが自然に割れて男女二人が誕生して夫婦となり、人類の祖先になった」と固く信じています。土地が狭かったため、その後は山を下りて各地に分かれて住み、子孫を残しました。

泰雅族
タイヤル族

サイシャット族のパスタアイ(矮霊祭)

サイシャット族は原住民の中でも人口が比較的少なく、そのほとんどは苗栗県南庄郷と新竹県五峰郷に住んでいます。サイシャット族は外来宗教を受け入れやすかったものの、パスタアイ(矮霊祭)で見られる宗教的な熱狂は、台湾の原住民の宗教的儀式の中でも群を抜いています。播種祭、祖霊祭、祈晴祭、収穫祭、呪術医などの伝統的な儀式がありますが、サイシャット族の心の中で非常に重要な位置を占めているのは「パスタアイ(矮霊祭)」です。日本統治時代以前は、パスタアイは年に1度開催されていましたが、日本政府は祭りがサイシャット族の団結力を高めることを非常に恐れ、強制的に2年に1度に変更されました。

パスタアイの儀式では歌と踊りが欠かせません。迎霊、延霊、娯霊、逐霊から送霊などの前後6日間、ほとんどの儀式が歌と踊りを伴います。民族音楽学者は民間信仰と民俗芸能の最高の組み合わせであると称賛しています。

祭典流程
祭典の流れ
迎靈祭祖儀式
先祖の霊を迎える儀式

タイヤル族の民俗文化

紋面(顔の刺青)で有名なタイヤル族ですが、男性が紋面を入れたり結婚したりするには出草(首狩り)の経験が必要で、女性は織物に長けていなければ紋面を入れることができませんでした。また、タイヤル族の紋面は、地域や部族により模様が異なりました。

衣装や飾りの面では、タイヤル族が編む生地の模様、線、色の組み合わせは芸術的で、台湾の原住民の中でも最も美しく精巧であると言われています。かつてのタイヤル族の衣装は主にカラムシを織った麻で、植付け、乾燥、縒る、紡ぐ、巻く、煮る、整経から水平背帯の織機まで、すべての仕事を女性たちがこなしました。狩猟のために移動するタイヤル族の原始的な文化は、もともと台湾北部の険しく生活環境の悪い土地に住んでいたことがその始まりです。昔は狩猟を優先する原始的な生活が維持されていましたが、その後は漢民族の移民や平埔族の影響を受け、狩猟と農耕を共に重視する生産形態をとるようになりました。タイヤル族は通常秋と冬に狩りをします。この時期は、肥えた動物が標高の低い場所に移動しており、気温が低く捕った獲物も腐りにくいためです。タイヤル族の古き狩りの伝統や年配の狩人には、持続可能な狩猟で野生動物を保護するという概念があり、自分の狩猟場所の動物が減っていることに気付くと罠を仕掛けるのをやめ、群れが回復してきたら狩りを再開します。しかし、現代ではこの伝統的な戒めが無視されており、山岳地帯の野生動物は強い狩猟圧力にさらされています。現在は生態系保全の必要性から国家公園内は全面的に禁猟とされ、自然生態系のバランスを保ち、野生動物の数を徐々に回復させることを目指しています。

泰雅紋面國寶
タイヤル紋面(顔に施した入れ墨)国宝

タイヤル族の人々はガガ(GAGA)というグループを生活単位とし、民主主義の原則に基づいたリーダーである頭目の厳しい倫理に従っています。タイヤル族は結婚も重視しています。求婚時には頭目が代わりに縁談を申し入れ、男性が自分の族譜(系図)を歌で表してから女性も歌います。親戚関係にあることを年長者が発見した場合、婚姻は成立しません。結婚が成立すると男性が女性に刀を贈ります。これは「私の力をあなたにあたえる」という意味を表しています。タイヤル族の年間儀式には、一般的に次のようなものがあります。


  • 播種祭   3月頃、頭目と長老が開墾地に行き、播種の儀式を行い、小米(粟)の順調な発芽と豊作を祈ります。
  • 収穫祭   小米(粟)の成熟期に行われる祭りで、収穫後には倉入れの儀式も行われます。
  • 祖霊祭   8月下旬頃に行われる祭りです。このような祖先を祭る儀式からは、タイヤル族の孝行を重視する態度が見て取れます。